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仁川都護府庁舎 - 仁川広域市 有形文化財 第1号


仁川都護府庁舎
- 分類 : 官衙建築
- 数 : 1棟
- 指定日 : 1982. 3. 2
- 住所 : 仁川広域市彌鄒忽区買召忽路553


仁川都護府庁舎の建築年代は定かではないが、姜希孟の[仁川府陞号記>]によると、世宗2年(1424)にはすでに庁舎があったと見られ、朝鮮初期に建築されたことが分かる。しかし、現在の建物を朝鮮初期のものとするのは困難で、客舎の屋根瓦から「姜希16年(粛宗3年:1677)」という銘文が見つかっている事から、修造されたものであることが分かる。


仁川都護府に昇格したのは朝鮮時代の世祖6年(1460)で、世祖の母である昭憲王后沈氏(世宗妃)の陳外家(父方の母親)だったことによる。 [仁川府邑誌]によると、仁川都護府は客舎、東軒、内東軒、三門、司令庁、郷庁、軍官庁、訓武堂、獄舎、御用庫、軍器庁など、当初は15~16の建物で構成されていたと伝わるが、現在は客舎の一部と19世紀初めの建物である東軒、そして後代に建てられた倉庫しか残っていない。


仁川都護府庁舎の正確な建築年代は明らかでないが、姜希孟の客舎は屋根瓦から見つかった銘文によって1677年に修造されたものと推定される。しかし、1950年に現在の文鶴小学校が建てられ、東軒と一緒に現在の地に移転、改築されたため、当初の建物の配置や形は分からなくなっている。


客舎はもともと20間あったとされるが、現在は両側のインナンチェがなくなり、牔栱屋根作りの中央部の正面3間、側面2間など建物の一部しか残っていない。東軒は合閣屋根のクルドリ(丸い桁)作りの建物で、官庁の建物としては珍しく附椽を付けていない一重軒屋根となっており、柱も丸状ではなく、角状のものを使用している。