仁川広域市,彌鄒忽区役所

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彌鄒忽区の歴史

仁川の昔の地名は、「沸流」が定着し、この地が「弥鄒忽(ミチュホル)」と呼ばれるようになったことに由来し、三韓時代、三国時代を経た高麗時代に庚源府から麟州になり、朝鮮太宗13年には仁川郡と改称され、郡邑は官校洞に置かれた。世祖6年に昭憲皇后(世宗妃)の故郷であったことから仁川都護府に昇格し、粛宗24年には県に降格したが1698年にまた府へと昇格した。その後、1936年に崇義洞地域が大和町になり、朱安洞も1936年の仁川府地域拡張の際に富川郡多朱面四忠里と間石里の一部を編入して朱安町となった。現在の彌鄒忽区は何回かの変遷を繰り返しながら、区域の拡張により仁川の中心区として、西海岸時代の展開に合わせ、活気溢れる都市として発展している。

彌鄒忽区の歴史
1936.10.1 崇義洞地域が 富川郡多朱面土充里より編入され仁川府大和町に改編
1936 朱安洞が富川郡多朱面土里と間石里の一部より編入され 朱安町に改編
1940 仁川府域拡張により南洞面が編入
1943.7.10 文鶴出張所設置。文鶴洞など5ヶ洞管轄
1947.4.1 仁川府朱安支庁設置。道禾1洞など9ヶ洞管轄(米軍指定)
1948.8.15 南洞、文鶴、朱安出張所の3支所が公式に発足
1949.8.15 地方自治制実施により仁川府を仁川市に改称
1955.8.1 仁川市条例128号に基づき文鶴 及び朱安出張所廃止
1956.10.1 仁川市条例第143号によって廃止された朱安及び文鶴出張所を復活
1956.11.23 仁川市条例144号に基づき南府、南洞、文鶴、朱安出張所に分轄
1967.3.30 法律第1919号により、仁川市の区設置に関する法律公布
1968.1.1 仁川市彌鄒忽区開庁。 区制実施 (旧文鶴・南府・朱安・南洞の4出張所統合)
1970.1.1 4ヶ洞分洞28洞(条例628号)
1979.1.1 3ヶ洞分洞32洞(条例1146号)
1979.5.1 3ヶ洞分洞32洞(条例1146号)
1981.7.1 直轄市に昇格
1982.9.1 5ヶ洞分洞37洞(条例1596号)
1983.10.1 1ヶ洞分洞38洞(条例1649号)
1985.11.15 2ヶ洞分洞40洞(条例1895号)
1988.1.1 南洞区 (13ヶ洞) 新設により27ヶ洞 (大統領令12367号)
1991.11.4 区役所所在地変更(崇義洞131-1、条例228号)
1994.7.1 2ヶ洞分洞29洞(条例321号)
1995.1.1 広域市に昇格 (法律4802号 94. 12. 22)
1995.3.1 延寿区 (8ヶ洞)新設により23洞(法律第4802号)
1996.3.1 1ヶ洞分洞24洞(条例379号)
2009. 2.1 3ヶ洞統合により全21洞(条例 947号)。
崇義(スンイ)1洞と崇義(スンイ)洞が崇義(スンイ)1・3洞に
龍現(ヨンヒョン)1洞と龍現(ヨンヒョン)4洞が龍現(ヨンヒョン)1・4洞に
道禾(ドハ)2洞と道禾(ドハ)3洞が道禾(ドハ)2・3洞に